青森県津軽地方では、8月2日から7日までの旧暦の七夕時期に同時に、あちこちで「ねぶた」「ねぷた」が開催されます。
青森ねぶた、弘前ねぷた、五所川原立佞武多、黒石ねぷた、平川ねぷた、大湊ネブタ…
ご来青のお客様に説明できるよう、このぐらいは暗記しています。
しかし…
青森市の青森ねぶた祭沿道に住んでいた私は、人生で一度も青森市以外のねぷたを見たことがありませんでした。
そんな一青森市民が、このたび初めて青森以外のねぶたをリアルで見ることが出来ました!
それは昨日から本日までに開催されていた
弘前ねぷた300年祭
のおかげです。
弘前ねぷたについてはこの記事が一番秀逸です。
1722年に弘前5代藩主津軽信寿が「祢ふた」「祢むた」を高覧したとの記録が弘前藩庁「御国日記」に確認できます。
弘前ねぷたの歴史は少なくとも初めて文献にねぷたが登場する、この1722年にまでさかのぼることが出来ます。
この年から今年でちょうど300年。
この300年祭で初めて目にする弘前ねぷたは、
きっと情緒あふれた風情のある雰囲気なのでは?
とこれまでは勝手に空想していました。
今日初めてリアルで目にし、自分の想像力が浅はかだったことを目の当たりにしました。
もちろん風情情緒にあふれていますが、自分の先入観とのギャップを敢えて一言でまとめますと「めっちゃイカツイ」です!
囃子や掛け声の「ドスの利いた重低音」
もう動画でご覧ください。
圧倒されました。
さらにこれ、トラメガじゃなくて生声だそうです。
主催者のコロナ対策に関するお触れがなければ、きっと沿道もこの掛け声に思わず呼応したでしょう。
重低音に加えてスローテンポなことも厳つさが極まります。
300年の歴史を感じさせる「石打無用」
この写真の灯籠にギョッとしました。
この灯籠だけでなく、沢山の扇ねぷたの横に大きく描かれていた「石打無用」の文字。
青森ねぶたにはみられないこの4文字が気になって調べてみました。
藩政時代から昭和初期まで続いた「ねぷた喧嘩」の名残だそうで、警察も対処できない壮絶なものだったようです。
「石打無用」などの厳つさにはやはり歴史の積み重ねを感じさせる深い経緯がありました。
昔は送り絵にもこの幽霊画のような画像が描かれていた、と聞きました。
今の送り絵は色気さえ感じる8頭身美人です。
300年祭りには他エリアからの参加も
斜里町からも来ていただきました。
江戸期の北方警備の関係で弘前と姉妹都市の北海道斜里町でもねぷたが開催されています。
送り絵でアシㇼパさんを思い出しました。
青森ねぶた
弘前で青森ねぶたが運航されるのは初めてのことだそうです。
振り返って考えると「喧嘩ねぷた」と呼ばれたほど同じ町内でさえも血気盛んなら「町外から来たらどんなことになってしまうんだろう」と心配して当然のことと思います。
弘前で青森ねぶたの囃子を聞くというレアな体験です。
青森ねぶたの各運行団体から選りすぐりの囃子が集まっているようで、統制の取れた囃子でした。
ねぶた本体も多くのネブタ師の合作だそうです。
さながらLIVE AIDのWe Are the Worldのように感じました。
弘前市の沿道にもこのアップテンポは好評な様子でした。
以上、一青森市民が初めて目にした弘前ねぷたの勝手な感想でしたが、非常に大きな感銘を受けました。
これまでは地元の祭りを離れることはありませんでしたが、来年以降も弘前ねぷたは見に来たいと思います。
今回見たこのねぷたを、もっと近くで見れそうな土手町で見るとどれだけすごいんだろう?と今から気になります。